いつも拝読させていただいておりますみやざき中央新聞の巻頭コラムより
教育評論家の尾木直樹さんの講演会での話題
尾木さんは問う
「毎日、お父さんが子どもの宿題を見てあげたり、勉強を教えている家庭はどのくらいありますか?」チラホラいらっしゃる。
尾木さんは言う
「経済的に平均より上の家庭のお父さんがどれくらい毎日子どもの勉強を見てあげているかというと約70%です。」
「平均より下の家庭のお父さんがどれくらい子どもの勉強を見てあげているかと言うと、4%でした。これだけの差があるんです。」
※ちなみに、経済的平均とは日経新聞を読むか読まないかが尺度だそうです。へ〜。ここまで読んで焦る私。著者と同調。
ところが、次ぐにでてきた言葉を聞いてびっくりした。私もビックリした。
「お父さんが毎日、子どもに勉強を教えてはいけませんよ。」 What?
「学校の価値観と家庭の価値観が同じになったらダメですよ」勉強を教えるのは学校の先生で十分なのだ。親子で共有すべきは「勉強」ではなく「遊び」だろう。
親が子どもと「遊び」を共有していたら、その延長線上で「勉強」も共有できる。その時は、「教える」のではなく、「一緒に考える」
仕事の忙しさを言い訳に、最近は子どもとの時間をないがしろにしている自分。
少し早めに帰宅しても、自分のやりたいことを優先してしまう自分。
ひとりっ子の息子と遊びを共有してあげていない自分。
よその子どもと息子を比較して考えている自分。
自ら宿題を頑張る息子。
俺ってなんて親なんだろう。
とにかく、我が家の教育方針は、口では「勉強は学校。しつけと教養は家庭。」でも、実際は、「勉強もしつけも教養も学校に任せて、家でも教養を強要して、子どもの居場所を狭めているのでは?」
そんなイロイロが頭の中を交錯し、子どもとの時間についてを今一度考えている。前述の通り大した親ではない。むしろよろしくない親です。それに焦ってました。「もしこのまま勉強嫌いな大人になったらどうしようか」って。
これまで生きてきた中で、結局は遠回りした方が近道だったという経験が多くある。たぶん、今回出会ったこの親子は「遊び」を共有しようはその部類だろう。そうか、遊びでいいのかと考えると若干気持ちにゆとりがでてきた。無理しなくてもできそうだ。
と、考えつつ、昨日は早めに帰宅し、子どもとカードゲームでデュエルした。結果は敗北。というか、子どもの遊びにはなかなか興味がわかない。そのうえ、子どもは「素人にしては、なかなかやね。」なんてムカつく言葉を。。。でも、お父さんはそんな言葉に熱くはならないんだよ。大人だから。って、熱くなってる。
遠回りした方が近道だった。今日はこの言葉が妙に心に残った。直接の近道を焦って進むのでなく、やはり時間をかけて自然なペース、時にはゆっくりとを大事に教育にふれてみようと考える早朝でした。
それにしても、早起きは良いが、早く起きすぎるとやはり体に毒だろうな。

