インターネットを使うと「脳」によい影響を与え、知力を押し上げる〜gigazin様の記事より
カリフォルニア大学ロサンゼルス校のチームの研究によると、「ウェブ検索の作業は、意志決定と複雑な推論をコントロールする脳の個別のエリアの重要な付加的アクティビティを生産していることが確認された」とのこと。
インターネット大好きな私としては、とても素敵な記事です。インターネットと脳の親和性が読書にも勝るとはすばらしい。ただ、ここで言うところのインターネットや読書が、どのレベルでのものを指しているのかも興味が発生するところ。
インターネットといっても、ただただネットサーフィンで毎日決まったサイトを眺め、googlereaderに流れてくる情報の中から気になった記事を読むといった程度のものから、常に仮説や推論を立てて検索の旅にでるのとでは、脳の働き方も違うでしょう。
同じく読書にしても、「暇でしょうがないから本でも読むか」と最初から最後まで流し読みするのと、フォトリーディングや速読のように、その本を読む目的をしっかり持って検索読みしていくみたいなものとでは違うでしょうから。
※と、無理矢理文章を長く書いているのは、書くことに対しての訓練です。本当は、上記のようないちゃもん的な推論は嫌いです。根が素直なもので、「へ〜、そうなんだ。じゃあ、俺ってぼけにくいの?」くらいにしか、実際には感じてはいません。ただ、「へ〜、そうなんだ。じゃあ、俺ってぼけにくいの?」で終わっては、それこそ脳が退化するような気がしてしまうんです。
また、今回の元ネタ記事でも若干ありましたが、
- インターネット環境の有無(インターネットへの興味の有無といってもよい。)
- 記事を読んだ人と読んでいない人
- 関心の高さ。「そうなの。ふ〜ん。」「どうでもいいけど。」と「そうそう、これについては同感。こんなことあるし。」や「ていうけど、そんなことないよ。私は読書の方が○○××で良いと思っている。」みたいに考えるの
と、いったように、いろいろなパターンが更に存在してくるし、また、その環境的土台も必要だと思う。
今回この記事に折角ふれることができたので、これからは、できるだけ、関心を高いところまで伸ばす思考の訓練、そして書く(アウトプット)ことにより、思考の発展を目指してみたいと思います。
ただしかし、私は今、この記事を書いている訳だけど、いつもは、3の「そうなの。ふ〜ん。」で終わらせていた人間です。それを書く訓練をするといった目的意識があるが為にこんなに長い文章にし、長い文章にする為に、無理に推論や、パターンを考えてみたわけです。それは、昨夜から明日こそはブログを書くぞと目標設定したために、なんとか書くにいたったわけです。ネタも探した。引っかかったネタがこれである。では、書くことに対する目的はなにか、なぜ書きたかったのか・・・なんだか、自分を成長させたくてっていうのが正直なところです。
さあ、朝の6時になります。少しづつ明るくなってきました。ランニングの時間です。いってきま〜す。