「書く、話す」アウトプット術に小細工は不用。あなた自身の意見を伝えろ。あなた自身の意見が見えないなら鍛えるしかない。
この本では、アウトプット術とうたいながらも、アウトプットするために必要不可欠なインプットとシンキングについてもきちんとふれていた。しかし、どことなくフラフラした感じの本の構成であったような、目的に対してより明確なものとどうでもいいようなネタとが混在した本だった。そんな中で私が何かを感じた何かを以下に書き連ねる。
書く、話すということ
私たちは普段の生活や仕事の場面で「書く、話す」を繰り返す。普段は意識することもなく書く、話す。しかし、時には考えて書く、話す。それは人に自分の考えを表現する時に顕著だ。例えば、このブログもそうだ。書く事で自分の意見や考えを表現するのだが、その目的は自己の表現であり、発信である。時として楽しく書けないネタもあるが、発信したい感情を抑えられず、書くのである。そうだ、根本にあるのは感情なんだ。
情報量の有益
ある話題について感情が生まれ、意見が発信される。例えば、ブログであれば、環境や知識、経験が文字などによって表現される。ただ、ここで当たり前の事であるが、自分の知らない事柄や言葉、表現については書く事はできない。つまりは、情報の量の差によって、その話題についての多様性がでる。その中で求められる情報として評価されようとするならば、それなりの情報量や知識、経験と言った自己のバックボーンが必要となる。
そう、ここで情報量による有利性が生じる。ただ、書くだけでは寂しいので。
情報格差を生む英語スキル
情報量により有利性が生じると書いた。ついては、生活の中で得られる知識等をどのように増やす事ができるかと考える訳だ。日頃からのアンテナ設置具合、情報を求める力等が重要になるのであろう。あと、加えて、学識スキルも重要であることを、上記の本で学んだ。特に英語スキル。英語が使えると、webで検索する時でさえ、情報量が格段に増えるという。たしかに、それは経験がある。
”考える”という行動
まずは土台。インプットする情報量が増えれば、その中から使える重要な情報を選別できる。その残った情報をうまく整理する。これらは考える行動に分類される。加えて、仮説。著者は「99.9%は仮説」の著者であった。忙しい日本人はもっと”考える”時間を大切にしなさいと説く。そういえば、暇そうに考えている上司いるな〜。おっと。
間主観性
間主観性とは、Aという事柄について、私とあなたでは捉え方が違うということ。自分の考えだけではなく、相手がいることを忘れてはいけないな〜と、なぜか心に引っかかったりした。
目的・相手・内容
そして、アウトプットの大切な要素がここに出てくる訳だが、それが「目的・相手・内容」。この中でも特に私が意識しなければ、ならないと思ったものが相手であった。誰をターゲットにして書いているのかが、いつも明確ではない。ターゲットを明確にすれば、書く内容や情報の取捨選択も変わってくるだろう。これは次からの課題としよう。
本の帯に、「私のノウハウを好きなだけ盗んでください」と書いてあったが、上記が私がいただいたノウハウです。特に英語スキルについては、目的がフラフラしていたところに、なんだか正当な理由を加えてくださった感があります。頑張ろうよ俺。