「何も無いという効率」を感じる時

投稿者: | 2009/5/23 土曜日

読書

本を無性に読みたい時があります。読みたくって購入しますが、自宅ではなかなか読み進まないことがしばしば。これにより積読が開始されます。決して積んでおいて満足はしていませんが、なぜか新しい本もどんどん増えていきます。

そんな訳で最近では読みたい時には集中して読める環境をあえて求めていきます。例えば、カフェとかトイレとか。

自宅には自分の趣味が凝縮された自分の居場所を持っています。そこには、PS3もシアターシステムもデスクもiMacも雑誌も本も置いてあり、やりたいことの大概はここで済みます。なんて幸せなんでしょう。

なのに、この環境にはちょっとした欠点もあります。それは、何でもあることの非効率が発生しやすいことです。

何でもあることの非効率

幸せな悩みであることは十分承知ですが、何でもあることの非効率それは、集中力を高めて1つのことに取り組めない。雑念が発生してしまうということです。例えば、ブログを書くにしても、リラックスするために音楽をかける、情報元を確認したところ別のネタまでが気になってネットサーフィンが開始される。iPhoneの電源が気になってくる。etc…

そんな訳で、本を読もうと考えても集中時間を作れないようになってしまうのです。もう、頭でそう考え始めたら止まらなくなり、とうとうこの場所では本を読めないようになるのです。

何もないことの効率を求めて

そのため、私は本を読むことを目的として、外出したりカフェに行ったりするようにしています。意図的に何もない環境を作るのです。

しかし、これって本当に贅沢です。本を読むためにカフェに行く。あえて何もないところにお金を払って行く。今はこの応用として、自宅内にお気に入りのソファーを購入して読書スペースを設けようかとも考えているほどですが、やはり自宅内では子どもの遊ぼう攻撃や妻のお手伝い光線を浴び、集中できないのではないかと考え、また、ソファー代>カフェの費用対効果等も考えると、やはり外出が良さそうです。

ちなみに、今日は買物に付き合った車の中での待ち時間で結構本が読めました。

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